《Wild Carnations (常夏)》 Perhaps if Genji were to step in with repeated and earnest supplications Tono Chujo could graciously give his consent. Yugiri's coolness and imperturbability did not help matters. Tono Chujo went unannounced to Kumoinokari's rooms. She was napping, very small and pretty, and managing to look cool in spite of the heat. Her skin was a soft glow through a gossamer singlet. One hand still held a fan most prettily, and her head was cradled on an arm. The hair that flowed behind her in natural tresses was neither too long nor troublesomely thick, and beautifully combed. Her women too were asleep, behind blinds and screens.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「常夏(とこなつ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。江戸時代の和本「真田三代実記」全50冊150巻、写本、箱あり傷みあり、真田幸村の軍記物、2篇1‐3巻可読だが大きな染みあり。。
原文は「源氏物語・常夏の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。石井光雄・積翠先生華甲壽記念論纂/1942年/非売品/徳富蘇峰・川瀬一馬・石田茂作・長澤規矩也・辻善之助・宇井伯壽・鈴木大拙・神田喜一郎。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。御物粘葉本 和漢朗詠集 上下釈文 帙入。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。[絵本] 徳川十五代記 明治27年 印刷兼発行者:荒川藤兵エ★ko2.35。現在の今上天皇と系譜がつながっている。扶桑蒙求 岸鳳質 天保14年 李澣 幼学書 寺子屋 尋常小学校 世話千字文 和漢朗詠集 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。1911年 書画鑑定大日本名家全書 印譜 花押 検索:法書道 封泥 篆刻 金石鼓文 篆字 落款 羅振玉 支那 呉昌碩 朱印存 斉白石 張大千 黄易 雅印。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。三橋四郎次著 石井柏亭装丁 島田青峯序『光波子句集』昭和16年 私家版(静岡県)三橋光波子俳句集 菊川市郷土史料。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。N23040103 京都府布達明治9年〇癲狂院(てんきょういん,8年南禅寺に設立,我国初の公立精神科病院,川越病院の起源)治療条則改正 入院料は随意。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。鳥井正之助編 大庭新八翻刻『一筆漢画』(全4冊揃)明治14年刊 中国光緒年間の草花画手本帖の和刻本 彩色木版画譜 明治時代和本 中国美術。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。新居帖 全4冊◆頼山陽、桃花庵、明治9年/u167。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。新薬方鑑 リープライヒ 明治22年 医学 明治期江戸期 検)西洋医学医術蘭学漢方学薬学薬理学出産学薬剤学 戦前明治大正古書和書古本 NK。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。大日本法律規則類編 上下巻セット 明治19年 戦前 法律法学 六法全書 明治大正 古書和書古本 P。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。即決1857年安政4年『仮題 鯰絵暦指南書』陰陽師アンティーク天文暦学書、暦指南、八卦、卜占、江戸期和本、 Planisphere, Celestial atlas。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 藤原盛道 寛永 武蔵風土記 古文書。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。東亜研究所 資料 南方地域の鉄鋼など 他 計6冊。また、各巻ごとの書かれた年については不明。軍事資料★「通信所日誌」明治36年9月18日ー23日 鶴原通信所 広島湾 呉要塞砲兵連隊便箋。従って、応永五年とは、書き始めの年である。淺智露 (武具 鎧など) 鏡嶋源養正著。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。N23021111○熊谷県布達明治8年○本県利根郡湯檜曾村より新潟県魚沼郡清水村迄 清水越の開鑿落成 三国嶺通に比し里程短縮 熊谷県権令梶取素。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。大正記念写真帖/大正5年/東京市の御大典法祝会/悠紀斎田の御田植式/主基斎田の御田植式/北京における蒙古僧侶/冬季の奉天市街/大隈内閣。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。とぼとぼ六十年 限150部 畦地梅太郎。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。正戸茂『経営心理学 応用篇 勤労意欲・モラール管理』昭和29年 丸善発売/広島工業経営学会刊 経営理論書。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。古山師重(古山太郎兵衛)『新板役者絵づくし』(全3冊揃)限定300部 大正10年米山堂 元禄時代『役者絵尽し』復刻版 野郎歌舞伎 元禄歌舞伎。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。小林善八(小林鶯里)『小説豊臣秀吉』昭和11年 大京堂書店刊 初版本。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。兒島高德事蹟私考・児島高徳/尾形惣三郎/昭和3年/元弘の乱に後醍醐天皇に応じて挙兵・天皇が隠岐国へ流される時途中で天皇を迎えようとした。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。唐衣橘洲『狂歌初心抄 完』寛政2年序 耕書堂刊 江戸時代和本。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘 甲冑之部 鎧着 古文書。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【洛座】明清名家書法大成 全八巻 本 初版 1993 定価 126,000円 <古本 呉昌碩 王鐸。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。松本楓湖編『日本画譜』(全2冊揃/木版画16枚)渡辺省亭 永峰秀湖 川端玉章 橋本雅邦 岸竹堂 小林清親 荒木寛畝 瀧和亭 菅原白瀧 跡見玉枝。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。伊良子光信編 中川重麗校『金石図解 全』明治15年 村上勘兵衛刊 明治時代和本 銅版画口絵入 鉱石・鉱物類を図版入りで紹介。
出品した「源氏物語」は常夏(とこなつ)の内容の要旨
「常夏の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。梁川星巌『星巌集』(全12冊揃)天保12年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩文集 漢詩集。第26帖。信濃國上水内郡南郷村未年浄土真宗宗門人別改帳。光源氏36歳の5月の話玉鬘十帖の第26帖。石田玉山『国姓爺忠義伝 前編』(全十三巻十三冊揃)文化元年 柏原屋源兵衛他刊 江戸時代和本 読本 絵本国姓爺忠義 中国史 浮世絵師絵入本。巻名は光源氏と玉鬘が常夏の花(撫子)を詠んだ和歌「なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ」にちなむ。蕉風極秘傳 中花堂東川 寳暦四甲戌年 會津藩家老一瀬氏舊藏本。源氏の君36歳の夏の話。和刻本正史 漢書ニ 列傳下。盛夏の六条院で、釣殿で涼んでいた源氏は夕霧を訪ねてきた内大臣家の子息たちに、最近新しく迎えられた落胤の姫君(近江の君)のことを尋ねる。アンティーク、天文暦学書、卜占、気象気候、28宿、古暦、江戸期和本1659(万治2)年『新板長暦 上下 2巻揃』太陰暦。夕霧と雲居の雁の仲を許さない不快も手伝って痛烈に皮肉った。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。内大臣と夕顔の君の姫君である玉鬘の姫君は、いつになったら実父・内大臣に会えるのか思い内大臣と源氏の君の間の板ばさみの玉鬘であった。詠史百首 大沼枕山 明治期 和歌 短歌 詩学 戦前明治大正古書和書古本 NK。一方、源氏の皮肉を聞いた内大臣も激怒。皇国開闢由来記・日本国開闢由来記・4冊/指漏漁者編・国芳画/絵入和本。雲居の雁のところへ出向いたが、夏の暑い盛りに単を羽織ってうたた寝していた姿に「はしたない」と説教する。清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本。またあまりに姫君らしくない近江の君の処遇に思い悩む。福澤諭吉著『清英交際始末』(全2冊揃)明治2年 尚古堂刊 阿片戦争後のイギリスと中国の外交関係を記す 明治時代和本 福沢諭吉。そこで長女・弘徽殿女御の元に行儀見習いへ出すことを決めたが、女御へ贈られた文も和歌も支離滅裂な出来で、女房たちの失笑を買うのだった。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 書状 古文書。
「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。観世流改訂謡本 40冊セット 明治発行。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。聖戦美術/陸軍省情報部/非売品/支那事変二周年記念日/昭和14年/小磯良平・向井潤吉・川端龍子・橋本関雪/荒木貞夫題字/和装本/戦時資料。この言葉は、「常夏」の巻の原文で「窓の内なるほどに従ひてゆかしく思うべかめるわざなれば」とある。墨子兵書 全四冊。一般にごく普通の男でさへ深窓の両家の娘には心をひかれるが身分の高い六条院の内にいる玉鬘の姫のことを世間では美しいと評判ですよと源氏の君が玉鬘の姫君に伝える場面である。【豪華複製版】嵯峨本徒然草 上下巻2冊組◎奥山春枝 鈴木尚美社 影印本 1934年(昭和9年)発行。玉鬘の姫君の美しさを中国の絶世の美女と称される楊貴妃をたとえた漢詩であることが「深窓」の文字からもくみとることができる。和本「毛詩鄭箋標註・詩經古註標註」全20巻合本5冊揃 天明6年(1786) 江都東山先生/訂正 中国最古の詩篇 儒教 経典 (江戸。紫式部が「常夏」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。恵中(草庵恵中・慧中)著『海上問答』(全3巻3冊揃)寛文10年刊 江戸時代和本 仮名草子 絵入本 仏教書 仏書。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。二大漢籍国字解 全12冊揃/早稲田大学出版部/92823。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
「常夏」の巻は英文で「Wild Carnations」と表記されます。富岡鉄斎旧蔵書(蔵書印2顆・自筆箋付)五十嵐篤好『天朝墨談』(全5冊揃)安政6年青藜閣梓 江戸時代和本 書道論。
《自筆上部の「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。明治期 紋様書 鳴海賀太 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 彫文 小田切春江 浮世絵 絵本 話本 武士 絵図。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。日本橋浮名歌妓 校閲:伊東橋塘 編輯:山田春塘(山田伊之助) 明治17年 滑稽堂★Hi.42。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。5 古文書 模写 写し 写本 千葉県令 申上書 市町村 沿革 明治維新 肉筆 木更津 江澤潤一郎。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。江戸前期~中期頃刋 古板 『百人一首』六種類 一括。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。橘守部詠 橘冬照選『橘守部家集』(全3巻揃/合本1冊)嘉永7年後跋 椎本蔵板 江戸時代和本(明治刷)橘守部歌集 国学者。)
「自筆原本」
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。頼山陽『校刻日本外史』(全12冊揃)明治18年 大日本帝国海軍軍艦・富士山艦旧蔵書(印記「富士山艦印」)明治時代和本。
自筆上部の「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。1932年 情緒漫画 折本 大島 奥伊豆 南国の五日 田中才二郎 松岡由助 初版本 東京府 検索:風俗 花街 舞妓 温泉街 昭和爛漫 鳥瞰図 地図 花町。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。n21010613○太政官日誌 明治3年庚午第64号12月〇海軍服制定む 絵図10丁全19丁〇陸軍徽章制服 絵図11丁全13丁 和本古書古文書。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。写本/去風流活花/「活花新活」/永埜某述/寛政4年筆写/岐阜高山:宇野氏所持本。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 要門車懸 小嶋紋左衛門景福 内藤入道 貞龍 古文書 書状。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。御伝鈔演義 抜書 上中下揃 江戸時代 浄土真宗 親鸞 検)仏教仏陀浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海法然密教 戦前明治大正古書和書古文書古本 NT。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古文書 会沢正志斎 書簡 水戸藩士 (レターパックライト発送)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 書状 小笠原 古文書 書状。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。柳橋竹枝 完 長谷川正直著 明治27年 大倉書店・片野東壁堂★Hi.63-B。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。竹久夢二木版画装『中山晋平作曲 新作小学童謡』(2冊セット=第1,3編) 昭和2-3年 京文社刊。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。選挙論 江口三省 小松三省 明治22年 土佐藩 高知県 戦前 政治 明治大正 古書和書古本 Y。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。1947年 初版 江戸建築叢話 検索:江戸城 諸門 城門 大岡越前守 奉行所 職制 絵図 絵本 製図 藍図 江戸橋 品川宿 遊郭 女郎 花街 外郎屋 茶屋。》
《少将も》・・・・御とも(供)にまい(参)り給ふ
。奥村玉蘭 筑前名所図会 全10冊 プラス解説本 家蔵本。姫君はひる(昼)ね(寝)し給へるほと(程)なり。0033694 写本 経済録 全5冊(10巻)揃 太宰春台 享保14年序。
うすもの(羅)ゝひとへ(単衣)をき(着)たま(給)ひて
ふ(臥)したま(給)へるさま、あつ(暑)かはしくはみ(見)えす。写本 駒田隼人恨晴秘録 宝暦11年 武術活劇 武士 検)歌舞伎浄瑠璃江戸時代古書和書古本古文書 NS。
いとらうたけにさゝやかなり。紋様 文様 寺院 唐草 鳳凰 獅子 奈留美加多 宮女裳 小田切春江 デザイン 設計 浮世絵師 画家 絵本 図譜 古器物 古模様 臨模 尾張国 江戸期。す(透)き給へるはた(肌)つきなと
いとうつく(美)し。ふり分かみ。おかしけなるて(手)つきして、
あふき(扇)をも(持)たま(給)へりけるなから、かひな(腕)を
まくら(枕)にて、うちやられたる御くし(髪)のほと(程)、
いとなか(長)くこちたくはあらねと、いとおかしき
すゑ(末)つきなり。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 犬追物 天文 古文書 書状。人々物のうし(後)ろによ(寄)りふ(臥)しつゝ
うちやす(休)みたれは、ふともおとろい給はす。法然説 洞空増註『難遂往生機并四障四機種種念仏往生機』貞享2年序 秋田屋五郎兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗開祖。
あふき(扇)をならし給へるに、なに(何)心もなく見あ(上)け
たま(給)へるまみ、らうたけにて、つらつきあ・・・・《かめるも》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。女庭訓御所車。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《六条院の釣殿の宴・源氏の君、高欄によりかかる》
《源氏の君・妻・紫の上に対する敬愛と玉鬘の姫君への思慕が交錯する》
《源氏の君と明石の君の娘・明石の姫君が将来、天皇の后への夢を語る》
《内大臣・雲井の雁と玉鬘の姫君の父)はあれこれ思案をめぐらされるまま、
ふと気が向いて姫君(雲井雁の姫君)のお部屋にお越しになる。竹翠情史著 秋山徳三郎編『胡蝶草誌』(全2冊揃)明治16年九春社刊 邨田良知彩色木版画入 明治時代和本 戯作小説 人情本 浮世絵 村田良知。
弁少将もお》・・・・・・供していらっしゃる。近代見聞善悪業報因縁集 2〜5巻 一叢軒露宿集選 ; 採璞校評 三都書林 天明8年(1788)☆和本 亡婦/怨/遊女の霊/殺生の業 B20yn。
姫君(雲井雁の姫君)はちょうど昼寝をしておられた折である。■送料無料■ 桂川玄渓 桂川流蘭学医学書 蘭学 医学書 医療本 医者 医学 本 和本 古本 古書 古文書 書 6冊 /くSIら/AA-2302。
羅(うすもの)の単衣(ひとえ)をお召しになって横になっていらっしゃる有様は、
暑苦しい感じではなく、じつに可憐(かれん)で小柄なお姿である。希少本 新体詩抄 初編 編者:外山正一 丶山仙士 矢田部良吉 尚今居士 井上哲次郎 巽軒居士 明治15年 1882年 しんたいししょう とやま。透けてお見えになる肌の感じなどは、まことに愛らしく、
いかにもきれいな手つきで扇をお持ちになっておられた、
その姿のまま肘(ひじ)を枕(まくら)にして、しぜんにうち捨てられたように
なっている御髪(みぐし)のさまは、それほど長く多すぎるほどでは
ないけれども、切りそろえた裾の風情(ふぜい)がほんとに美しい。旅順駐留記念写真帖 第六中隊 大正時代。
女房たちも物陰でそれぞれ横になって休んでいるので、
姫君(雲井雁の姫君)はすぐにはお目ざめにならない。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 馬書 古文書。
内大臣が扇をお鳴らしになったので、お目をさまされて何気なく
見上げておられる目もとがいかにもかわいらしく、
頬が赤・・・・・《らんでいるのも父親のお目にはただもう愛らしくてならない。美しい国 童話の日本史 吉田助治 大正13年 文陽堂書店 神道 神社 修験道 検定)三寶大荒神天皇教派神道仏教仏陀真言宗密教天台宗 NP。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。老子形気。
《Wild Carnations (常夏)》
Perhaps if Genji were to step in with repeated and earnest
supplications Tono Chujo could graciously give his consent.
Yugiri's coolness and imperturbability did not help matters.
Tono Chujo went unannounced to Kumoinokari's rooms.
She was napping, very small and pretty,
and managing to look cool in spite of the heat.
Her skin was a soft glow through a gossamer singlet.
One hand still held a fan most prettily,
and her head was cradled on an arm.
The hair that flowed behind her in natural tresses was neither
too long nor troublesomely thick, and beautifully combed.
Her women too were asleep, behind blinds and screens.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《常夏》
弁少将陪着他同行。■『義經再興記(全)』徳島縣平民・内田彌八譯述。山岡鐵舟題字。明治19年第4版。上田屋發兌。ボール表紙本。■源義經=Genghis Khan説。。云居雁正在昼寝。引札 小野道風。
身穿一件衫着,看来有凉爽之感。教育画報 第4巻第1~6号 大正6年。
身材小巧玲,姿十分可。【除籍本/まとめ】樺島石梁遺文 全8巻セット 儒学/久留米藩/著作集/和本/古文本【2211-119】。衫透露肌,
晶如玉。七五三ノ料理他作法雜録(仮題) 寫本 上州緑埜郡藤岡町稲荷社陰陽組頭/土御門殿配下生□左近。一手以美妙的姿拿着扇子,
枕腕而。装剣奇賞・3冊/稲葉通龍/天明元年序・刀装具の作者に関する最古の本格的な研究書であると同時に根付師名鑑としても貴重な情報を今に伝える。乱抛在后面,不甚,
但末端,非常美。「源氏物語」蛍の巻・五月五日、端午の節句・宮中での競射と競馬を源氏の君が玉鬘の姫君と見学する・自筆・茶道具7B。侍女也都在帷屏背后休息,
因此内大臣走室内,云居雁并不知道,没有立刻醒来。西川如見原著 小野忠重解説 『四十二国人物図説』昭和22年 双林社刊 江戸時代和本影印本。
内大臣拍拍扇子,才眼睛,漫不心地仰望父,
那眼色常可。『真艸世話千字文』文政8年 松屋善兵衛板 江戸時代和本 往来物。羞之下,。道教 真経 妙経 肉筆写経 唐本漢籍 漢文 検索⇒古籍善本 支那 敦煌 彫版 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 書道 宣紙 白棉紙 清朝 経書経 在銘。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」常夏の巻の末尾(原本番号24-A)の押印。日本甲冑の新研究・2冊/山上八郎/天金本/我国に行はれた防禦兵器中主要な位置を占めてるる甲冑に関した一切の事項に就いて研究したもの。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。送料込み,1850年,1793年「野島流船軍筆記」1冊,文書16枚,船の図2枚,陣形図1枚 村上水軍末裔,能島流秘伝書,水に強い松明製法,各種縄について。冬姫は内大臣・通誠の養女。●P340●千字文餘師●千字文余師●百年先生●誠徳堂●国字講釈●天保十三年●三河屋甚助●和本●即決。
冬姫は通称。暢寄帖 三十六峰外史墨蹟 全3冊◆頼山陽、長門蔵版局、明治2年/u166。正式な名は伊達貞子。古文書●900年頃と江戸末期 有名人4人の書 菅原道真の書(孝教)に頼山陽の入手経過そして藤田東湖の署名と徳川斉昭の冒頭の書 230307。
左上の篆書体は、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。『日本国霊異記巻下 尊経閣叢刊』昭和6年 前田侯爵邸内育徳財団刊 日本国現報善悪霊異記(日本霊異記) 鎌倉時代古写本複製版。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。【昭和レトロ 希少】古書 新聞でみる七十五年史〜昭和前編 全四巻 定価10000円 北国新聞社 創刊75年記念 縮刷版 昭和四十三年八月五日発行。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。春光園花丸著 岡田玉山画『画本異国一覧 巻之二』寛政年間 江戸時代和本 浮世絵 錦絵 絵入本。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。小山田与清著 北条時鄰補『十六夜日記残月鈔』文政7年 出雲寺文次郎他刊 江戸時代和本。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(常夏の巻)MRI 26―13B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「常夏の巻」の資料
下記写真は、源氏の君とその子息・夕霧を訪ねた内大臣の子息たちが源氏の君と話しをかわす場面を描いております中央が源氏の君、その左が夕霧。嵐山故郷錦 巻一・巻二・巻三(全五巻の内) 畠山照月作 速水春暁齋画。そのほかが内大臣の子息たち。兵法雄鑑。
上記絵巻は、源氏の君と話しをかわす内大臣の子息たち。出世早合点 商人軍配記 五巻 江陵山人述。
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 阿部軍兵衛 元文五七月 三重六物目録 古文書。
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。写本 人身生活機能位置網目之図解 利摂蘭度 安政2年 医学 明治期江戸期 検)西洋医学医術コレラ蘭学漢方学薬学薬理学出産学産婦人科 NK。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。満州事変・上海事変・新満州国写真大観・満州事変の経過・2冊/昭和7年/上海方面戦況の写真は当時の況を正しく物語る好個の資料として推奨。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。送料込み、1726年成立。1759年ごろの版か?江戸時代の薬の解説和本「用薬須知」全5巻3冊、320品種。3巻の端に虫食い少しあり。松岡恕庵著。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【洛座】詩林良材 全6巻揃 貞享年号< 和本 ◆13-16。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。[絵本] 太閤記 秀吉公一代記 明治32年 牧金之助★ko2.39。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。泉円『鄙佐遍豆理』(全2冊揃)嘉永3年序泉舎 越後出身の国学者の歌集 安田躬弦・清水浜臣・小山田与清らと交友 江戸時代和本 ひなさへづり。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。送料込み、1790年,江戸時代の家庭の医学の和本「広恵済急方」全3巻、1巻少し糸ほつれ。多紀元簡。挿絵数十有。。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【金富士】値下げ中 江戸期 17~18世紀珍品古書 写本(手抄本)『兵法雄鑑』52巻 著者 北条氏長 検/中国古書。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。すいもの草 俳書 俳諧 秋窓渭虹等編。撮影後、展示のために再表装をしております。萬紫千紅。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘半左衛門 古文書。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。渡辺直之編『新撰はうた部類』明治14年丸山幸次郎刊 俗謡 端唄歌詞集 明治時代和本。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。※よろこびの春 宮路吉甫喜寿祝歌集 滋賀県蒲生郡中野村宮路直一(現東近江市) 姉小路良子・宮内省御歌所寄人良大口鯛二・須川信行等。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。はいかい はるの湊 京/橘枝堂板 寳暦頃刋 俳諧 春の湊。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。井沢蟠龍『続本朝俗説弁』(全3冊揃)寛永5年 茨木多左衛門開板 江戸時代和本 肥後熊本藩士で山崎闇斎に師事した神道家・国学者。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。大雅堂201 江戸後期木版御文章3冊 東本願寺21代厳如(大谷光勝)下間治部卿 飼田大膳書付札付 木箱付 本物保証 越前府中旧家蔵うぶ出し。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。長谷川伸旧蔵書『大分聯隊区管内に於ける郷土戦史の研究 第1輯』昭和2年 帝国在郷軍人会大分支部刊(大分県大分市)戦国時代戦史。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。過去帳序 寫本 運敞 寛永廿一年七月日序。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。今書 2冊揃 蒲生君平 下野蒲生秀実 文久3年 儒学 尊皇攘夷 水戸学派 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。古文書 書簡 横山大観 書簡3通 宮坂捲雄宛 封筒付き 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。狩猟図説 全◆農商務省/東京博文館/明治25年/猟犬/猟銃。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。f240502017〇彩色木版画 広重 富士三十六景 相州三浦之海上 神奈川県三浦市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【激レア 貴重 入手困難】『相国寺派管長 独山禅師墨跡画幅』獨山禪師 芸艸堂出版部 昭和6年(1931年) 和綴じ 墨蹟 書 臨済宗。母は後水尾天皇皇女女二宮。傳心録 徳川家關係寫本 天保九年六月/康圭公御本并借寫之。実母は近衛家女房(瑤林院)。江戸和本『天台四教儀山簣』上中下全3冊揃 嘉永元年 慧澄和尚/著 多田氏蔵版 仏教 天台宗 (和書 古文書 唐本。幼名は多治丸。Y3FJC-200710 レア[俳諧歳時記栞草 雑]歌仙の式 源氏の式。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。半化房(高桑闌更)『誹諧道志るへ』安永8年 須原屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。人間奇話全集 : 精神科学 文化普及学会 編 大正13年 ☆変態心理/異常性格 変質者 脅迫観念 心霊 オカルト 戦前 B21yn。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。古書 古本 定石類集 名家詰将棋。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。土佐日記 舟乃直路上下巻 和本 古書。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。似せ金銀錢拵へ候もの・・御禁制ノ高札。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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