《Channel Buoys (澪標)》 It was a brilliant progress, in thanks for the granting of his prayers. By the merest chance, it came on the day the Akashi lady had chosen for her own pilgrimage, a semiannual observance which this time had a special purpose, to apologize for her not having been able to present herself the year before or earlier this year. She came by ship. As the ship pulled in, a gorgeous array of offerings was being laid out on the beach. The shrine precincts rang with the shouts of bearers and there were uniformed dancers, all very goodlooking. "And whose party might it be?" asked one of her men. The very inferior footman to whom the query was made laughed heartily.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。皇国時報・96冊/神道雑誌/新内閣と祭政一致・靖国神社臨時祭・北支事変の局面開展と神社人の重大覚悟・皇道日本の主張・婦人と愛国運動。
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。岡本監輔(岡本韋庵)著 三宅憲章校『万国通典』(全6冊揃)明治17年 集義館蔵版 明治時代和本 阿波国(徳島県)生の北海道・樺太探検家。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。耕香館画謄 畊香館画謄 全4冊揃 瀧和亭 中国書画 紅之部、香之部、雪之部、處之部。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。☆E0160和本明治5~7年千葉古記録「御布告留」4冊/木更津県埴生郡上永吉村(茂原市)/古書古文書/手書き。現在の今上天皇と系譜がつながっている。新井藤次郎・近藤清太郎編『古今模様鑑』(全2冊揃)明治15-18年刊 銅版画譜 図案集 明治時代和本。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。華厳遊心法界記。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。伊良子光信編 中川重麗校『金石図解 全』明治15年 村上勘兵衛刊 明治時代和本 銅版画口絵入 鉱石・鉱物類を図版入りで紹介。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。本山彦一旧蔵書 中井竹山著 渋井考徳撰 細井平洲評『西上記 完』嘉永6年刻成 和泉屋吉兵衛刊 江戸時代和本 漢文紀行集 漢文集 紀行文集。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。江戸和本『天台四教儀山簣』上中下全3冊揃 嘉永元年 慧澄和尚/著 多田氏蔵版 仏教 天台宗 (和書 古文書 唐本。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。広瀬旭荘『梅詩鈔 初・ニ・三編』(9冊)嘉永元年河内屋茂兵衛他刊 漢詩集 江戸時代和本。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。f240502002〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都駿河町東京都千代田区駿河台 三越 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。以呂波の外仮名の本字 鱗形屋孫兵衛新板。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。柳亭種彦著 落合芳幾画『落花清風慶應水滸伝 下之巻』明治15年 愛善社刊 明治時代和本 彩色木版画装 浮世絵 錦絵 歌舞伎 浄瑠璃。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。★H481和本江戸後期広渡湖秀(巌斐)「画帖」1帖/絵入古書古文書/手書き/肉筆画。また、各巻ごとの書かれた年については不明。狩猟図説 全◆農商務省/東京博文館/明治25年/猟犬/猟銃。従って、応永五年とは、書き始めの年である。里見八犬伝。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。福澤諭吉著『清英交際始末』(全2冊揃)明治2年 尚古堂刊 阿片戦争後のイギリスと中国の外交関係を記す 明治時代和本 福沢諭吉。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。[絵本] 徳川十五代記 明治27年 印刷兼発行者:荒川藤兵エ★ko2.35。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。正戸茂『経営心理学 応用篇 勤労意欲・モラール管理』昭和29年 丸善発売/広島工業経営学会刊 経営理論書。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。中将姫蓮蔓荼羅 野村銀次郎 銀花堂 1886年 62p 挿絵入り☆浄土教 当麻曼荼羅を織った尼僧 伝説逸話 仏教 明治戯作読本ボール紙 B23yn。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。希少 万国船舶信号書 上中下巻セット 明治30年 海洋工学 航海 造船 モールス信号 戦艦 戦前 明治大正 古書和書古本 P。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。代議政体論覆義 スペンサー 宮城政明訳 明治26年 戦前 昭和明治大正 古書和書古本 政治。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。吉田松陰『鴻鵠志』明治2年 河内屋吉兵衛刊 明治時代和本 鴻告志 漢文集 漢学。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。明治期 紋様書 鳴海賀太 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 彫文 小田切春江 浮世絵 絵本 話本 武士 絵図。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。1918年 支那 漫遊記 租界 生写真 革命党 満洲 総督府 張作霖 古建築 軍閥 督軍 中華民国大総統 段祺瑞 馮国璋 曹汝林 肅親王 梁啓超 大清国。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【古書】俳諧鴨東新誌 まとめて 明治期 俳句 不揃い 100号台 関連冊子付き 上田聴秋 近代俳句 京都俳談 資料 古文書 和書。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。1911年 書画鑑定大日本名家全書 印譜 花押 検索:法書道 封泥 篆刻 金石鼓文 篆字 落款 羅振玉 支那 呉昌碩 朱印存 斉白石 張大千 黄易 雅印。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。雅俗通用 永代用文章 天保6年 江戸期 江戸時代 古書和書古本 AA。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。f240502017〇彩色木版画 広重 富士三十六景 相州三浦之海上 神奈川県三浦市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。第14帖。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 要門車懸 小嶋紋左衛門景福 内藤入道 貞龍 古文書 書状。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。【和本】韻鏡 韻鏡索隠 中国 音韻学関連 和本 3冊セット 寛文3年 長尾平兵衛 和本 唐本 太田子規 古文書 江戸時代 版本 中国 1はy。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。暢寄帖 三十六峰外史墨蹟 全3冊◆頼山陽、長門蔵版局、明治2年/u166。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。本物! 十返舎一九●続膝栗毛 六編上・下。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。[絵本] 白井權八一代話 上之巻・中之巻・下之巻 3冊 大西庄之助編★ko2.34。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。川越藩(前橋藩)前橋御陣屋絵図。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。下野國田沼山城守切腹之事 田沼實秘録 旗本/佐野善左衛門切腹之事 田沼意知殿中殺傷事件の末。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。長谷川伸旧蔵書 渡部お糸著 石原千太郎編『正調安来節』大正6年 安来節家元渡部お糸刊(島根県)民謡 俗謡。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。【洛座】王羲之彙帖大観 10冊 揃い 于右任題 呉昌碩 < 煎茶道具急須中国古美術中国古書漢籍書道碑法帖。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。『連歌至要抄 全』貞享5年 小佐治半左衛門他刊 江戸時代和本 連歌論 俳諧書 俳書。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。f240502005〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都御茶の水 東京都千代田区駿河台 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見ニ付御用向御窺之覚と人足数 8丁 藩主井伊直弼⑩ 下野国安蘇郡 現在の佐野市 231015。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。古山師重(古山太郎兵衛)『新板役者絵づくし』(全3冊揃)限定300部 大正10年米山堂 元禄時代『役者絵尽し』復刻版 野郎歌舞伎 元禄歌舞伎。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。和刻本正史 漢書ニ 列傳下。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。日本橋浮名歌妓 校閲:伊東橋塘 編輯:山田春塘(山田伊之助) 明治17年 滑稽堂★Hi.42。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。経典【仁王経開題 附仁王経陀羅尼】高野山根本大塔完成局 真言宗 経文 (管理74425016)。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。檜山義慎『皇朝名画拾彙』(全5冊揃)文政2年盤松軒蔵版・和泉屋金右衛門他刊 神田香巌旧蔵書(「神田家蔵」「香巌珍蔵」)江戸時代和本。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。済斎詩鈔・乾坤/山田準・山田済斎・明治-昭和時代前期の漢学者/非売品/昭和15年/山田方谷の孫娘と結婚・陽明学研究の王学会を主宰/和装本。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。水原豊編『漢画独稽古』(2冊=「蘭譜」+「梅譜」)明治13年大坂同盟書房刊 木版画譜 中国絵画絵手本 中国美術 明治時代和本。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 寛永 小笠原 古文書。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。0033694 写本 経済録 全5冊(10巻)揃 太宰春台 享保14年序。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。芸州藩射芸書・3冊/樋口臥龍/羽田正夫氏秘蔵・廣島藩射芸書・文政11年の復刻・昭和12年/日置流射技諸学式・射技業目録・弓法故実目録註。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。古文書 会沢正志斎 書簡 水戸藩士 (レターパックライト発送)。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 八張弓 弓之惣 太平弓 一番太平弓 大刀雄之明神 古文書。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。【真作】 上原勇作 龍岡篤敬宛書状 残暑~ A-145。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。落合芳幾木版画装『古今実録佐野義勇伝』(全2冊揃)明治17年刊 江戸時代の剣豪佐野鹿十郎逸話集 明治時代和本 浮世絵・錦絵。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【明治32年 富岡永洗木版『新婚旅行の図』付き 旅行案内 日用百科全書 第14編 大橋又太郎 編 博文館 検】芸術美術古写真古書歴史資料骨董。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。軍事資料★「通信所日誌」明治36年9月18日ー23日 鶴原通信所 広島湾 呉要塞砲兵連隊便箋。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。徳用食鏡。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。南磨綱紀編『内国史略』2種セット 明治時代和本 日本史書 銅版画地図入 古地図。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。内田正雄纂輯『官版輿地誌略』(7巻5冊=亜細亜洲3冊+欧羅巴洲2冊)明治7~10年序 文部省印行 明治時代ボール表紙本 折込古地図多数入。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。f240502008〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都あすか山 東京都北区王子 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。》
《みよし(住吉)にまう(詣)て》・・・・給ふ。オリュンポス ねじまき少女 恐怖の存在 キルンピープル クラーケン 宇宙飛行士ピクルス物語 ハヤカワ文庫 17冊セット 送料無料。
くはん(願)ともはたしたま(給)ふへけれは、いかめしき御ありきにて、
世中ゆすりて、上達部殿上人、われもわれもとつか(仕)うまつり給ふ。富岡鉄斎旧蔵書(蔵書印2顆・自筆箋付)五十嵐篤好『天朝墨談』(全5冊揃)安政6年青藜閣梓 江戸時代和本 書道論。
おり(折)しも、かのあかし(明石)の人、とし(年)ことの
れい(例)のこと(事)にて詣つるを、こそ(去年)ことし(今年)は、
さはること(事)ありておこたりけるかしこまり、と(取)りかさ(重)ねて、
思ひたちけり。堀川院百首。ふね(船)にてまうてたり。f240502003〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都数奇屋河岸 東京都中央区 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。きし(岸)にさしつくる
ほと(程)み(見)れは、のゝしりてまう(詣)て給ふ人のけはひ(気配)、
なきさにみ(満)ちて、いつくしきかん(神)たから(宝)をもて
つゝ(続)けたり。酒井抱一筆 俵屋宗達筆童子採菊之圖鑑定書 文化九年十一月廿二日。かく(楽)人とを(十)つら(列)なと、
さうそく(装束)をとゝのへ、かたちをえらひたり。淺智露 (武具 鎧など) 鏡嶋源養正著。
「た(誰)かまう(詣)て給へるそ」と、・・・・《と(問)ふめれは》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【難あり】『国菓図鑑 限定五百部』/昭和10年/寺田一夫/西宮書院/Y11422/fs*24_4/34-05-1A。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《藤壺の中宮・出家の身であるため冷泉天皇の母であることから皇太后に準じる待遇を受ける》
《源氏の君と明石の君、それぞれに大願成就を感謝し住吉神社に参詣する》
《その秋、源氏の君は住吉にご参詣(さんけい)に》・・・・なる。美濃飛騨両国地理明細新全図 川瀬善一編。
願いの数々のかなえられたお礼を果そうとのおつもりなので、
威風さかんなお出かけとて、世間でも大騒ぎをして、上達部(かんだちめ)や
殿上人(てんじょうびと)が我も我もと競ってお供申しあげなさる。写本 駒田隼人恨晴秘録 宝暦11年 武術活劇 武士 検)歌舞伎浄瑠璃江戸時代古書和書古本古文書 NS。
そうした折も折、あの明石の人が、住吉には毎年の恒例の行事として
詣でているのであるが、それを去年今年とさしさわりがあってお参りを怠っていた、
そのお詫(わ)びもかねて思い立ったのだった。和本 道二翁道話四篇巻中、道二翁道話二篇巻下、2冊セット 寛政8年(1796年)頃 須原屋茂兵衛。
船路での参詣である。【安永年間 肉筆刀釼秘傳書】 巻物表装・誂え箱付き 改元歴史資料 L0705D。
ところが岸に船を着けるときにふと見ると、大騒ぎに騒ぎたてて
お参りになる人々のにぎわいが浜辺いっぱいにあふれて、立派な奉納の品を
捧げた行列が続いている。工藤左衛門冨士日記 作者竹田出雲 享保一三年初演。
楽人十人など、装束をととのえて、顔だちのすぐれた者を選んでいる。選挙論 江口三省 小松三省 明治22年 土佐藩 高知県 戦前 政治 明治大正 古書和書古本 Y。
(明石の君の供人)「どなたのご参詣ですか」
と明石の君の供の者が尋ねたらしいのに・・・・・《答えて、
「内大臣殿(源氏の君)が御願ほどきにお参りになるのを、知らぬ人もいたのだね」
と言って、つまらぬ下賤(げせん)の者までもが得意そうに笑う。f240502006〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都両ごく 東京都墨田区両国 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。山内香雪鉤纂『本朝名家手簡』(6冊)天保12年跋 天寧閣蔵板 江戸時代和本 服部南郭 伊藤東涯 新井白石 貝原益軒 千利休 狩野探幽 白隠ら。
《Channel Buoys (澪標)》
It was a brilliant progress, in thanks for the granting
of his prayers.
By the merest chance, it came on the day the Akashi lady
had chosen for her own pilgrimage, a semiannual observance
which this time had a special purpose, to apologize for her
not having been able to present herself the year before
or earlier this year.
She came by ship.
As the ship pulled in, a gorgeous array of offerings was being
laid out on the beach.
The shrine precincts rang with the shouts of bearers
and there were uniformed dancers, all very goodlooking.
"And whose party might it be?" asked one of her men.
The very inferior footman to whom the query was made
laughed heartily.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《航(澪標)》
此行了愿,仗非常壮,世盛,
一。唐衣橘洲『狂歌初心抄 完』寛政2年序 耕書堂刊 江戸時代和本。朝公卿及殿上人争先参加。息災護摩 正徳4年 仏教 江戸時代 検)仏陀空海古書和書古文書古本浄土宗浄土真宗真言宗天台宗密教護摩江戸期 ND。正在此,
明石也赴神社参拜。【豪華複製版】嵯峨本徒然草 上下巻2冊組◎奥山春枝 鈴木尚美社 影印本 1934年(昭和9年)発行。向来年去参拜一次。5 古文書 模写 写し 写本 千葉県令 申上書 市町村 沿革 明治維新 肉筆 木更津 江澤潤一郎。
去年了孕,今年了生育,都不曾去,在便将次并作一次。N23020614○太政官布告 明治8年○宮内省中典医侍医馭者雑掌を廃し 宮内庁中新置官等表の官を置く太政大臣三条実美 熊谷県○和本古書古文書。
是乘船去的。長野県満州開拓史 3冊セット。船靠岸,但岸上常,了参拜的人,
珍的供品不地来。f240502011〇彩色木版画 広重 富士三十六景 鴻之臺戸根川 千葉県市川市国府台 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。人和十个舞手的装束非常,
而且一概用相貌漂亮的人。芹澤文平『芙蓉霊峰名所写真帖』大正4年 宝永ホテル刊 大正時代の富士山写真集 富士山六合目「宝永山荘」。明石船上的人向岸上人:
“,是来参拜?”
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。傳信州中野鈴泉寺町田謙齋(湘湖)資料。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。大日本法律規則類編 上下巻セット 明治19年 戦前 法律法学 六法全書 明治大正 古書和書古本 P。冬姫は内大臣・通誠の養女。鳥井正之助編 大庭新八翻刻『一筆漢画』(全4冊揃)明治14年刊 中国光緒年間の草花画手本帖の和刻本 彩色木版画譜 明治時代和本 中国美術。
冬姫は通称。石田玉山『国姓爺忠義伝 前編』(全十三巻十三冊揃)文化元年 柏原屋源兵衛他刊 江戸時代和本 読本 絵本国姓爺忠義 中国史 浮世絵師絵入本。正式な名は伊達貞子。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 書状 古文書。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。溝口竹亭『俳諧をだまき綱目大成』(全二巻揃・合本一冊)宝暦11年 田中庄兵衛刊 江戸時代和本 俳諧をだまき綱目 俳句 俳諧書 俳書。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。1914年 栄華物語 与謝野晶子 中澤弘光絵 金尾文淵堂 彩色挿絵多 検索⇒木版画家 絵本 木版摺 洋画 日本画 浮世絵 陸軍美術協会 曾山幸彦。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。f240502025〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東海堂左り不二 静岡県富士市依田橋 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。竹久夢二木版画装『中山晋平曲 童謡小曲』(2冊=第15,17集) 昭和5年 山野楽器店刊 北原白秋・野口雨情・西條八十ら歌詞。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―19B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する
上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。梁川星巌『星巌集』(全12冊揃)天保12年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩文集 漢詩集。襖絵は俵屋宗達
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【昭和49年覆刻・限定500セット「古文書時代鑑(上)」】東京大学史料編纂所編/定価20万円/。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。【洛座】明清名家書法大成 全八巻 本 初版 1993 定価 126,000円 <古本 呉昌碩 王鐸。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。f24022007〇証印税金差出帳 能筆 明治新政府事業の一環新潟県が率先 地券証 新潟県 県令 楠本正隆 明治6年 越後国蒲原郡夏井村 現北蒲原郡。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。ビンテージ 当時物 修養全集 処世常識宝典 11 大日本雄辯會講談社 昭和四年発行 中外印刷 非売品 レトロ 希少書 アンティーク 古書。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。f240502004〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都佃沖 東京都中央区佃 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。続近世畸人伝■和本■全5冊揃い■落丁なし■三熊花顛■伴蒿蹊■寛政10年(1798年)刊■続近世奇人伝。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。奥村玉蘭 筑前名所図会 全10冊 プラス解説本 家蔵本。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。古文書 書簡 横山大観 書簡3通 宮坂捲雄宛 封筒付き 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。岩垣松苗・菊池純(菊池三渓)編『国史略』(全十五冊揃)明治11-13年 藤井孫兵衛刊明治時代和本 日本史。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。f240502032〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐犬目峠 山梨県上野原市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。即決 天文暦学書、明治期和本1898~1912(明治30~45)年15冊合冊『太陽暦 略本暦 おばけ暦』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、略本暦。撮影後、展示のために再表装をしております。獨鶴(知影)著 岡崎元軌序『独鶴詩集』(全2冊揃)文政7年刊 京都光隆寺の僧知影の漢詩集 江戸時代和本 本願寺派資料。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。即決1857年安政4年『仮題 鯰絵暦指南書』陰陽師アンティーク天文暦学書、暦指南、八卦、卜占、江戸期和本、 Planisphere, Celestial atlas。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。新居帖 全4冊◆頼山陽、桃花庵、明治9年/u167。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。欧州大戦史の研究・11冊/陸軍大将杉山元/昭和12年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。C61-063 大岡仁政録 八 九 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。二大漢籍国字解 全12冊揃/早稲田大学出版部/92823。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。f24022101〇古文書 村庄屋 名主 約140年間の記録資料 田方名寄帳 元文5年(1740)~明治10年迄 (1877) 井草宿 埼玉県比企郡川島町。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。古文書 太政官日誌 明治2年 第11号~17号 7冊まとめて。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。古文書 希少『大臣関白状』『二条政関白』室町時代 二条正嗣 肉筆 公卿 関白 太政大臣 祭り事 皇室 神事時代物唐本唐物政事古書古筆古美術。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。扶桑蒙求 岸鳳質 天保14年 李澣 幼学書 寺子屋 尋常小学校 世話千字文 和漢朗詠集 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。Y3B3-240517 レア[千字文]。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。大森慧範『満鮮旅行録 完』昭和13年刊 神奈川県南足柄市の曹洞宗寺院「長泉院」前住職・大森慧範が満洲国・朝鮮を謳った紀行漢詩集。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。[R0419-020] 増補名物錦繍類纂 着物 デザイン 図集 明石染人 狩野秀峯 平安堂 京都。母は後水尾天皇皇女女二宮。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。実母は近衛家女房(瑤林院)。けいせい恋飛脚 傾城恋飛脚 安永2年 菅専助・若竹笛躬 浄瑠璃歌舞伎 近松門左衛門 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。幼名は多治丸。導水瑣言 岸田吟香自筆書寫本(二五歳) 楽善堂主人寫 安政五年春三月寫。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。矢谷房子編『婦女手紙の文』明治37年文陽堂刊 明治時代和本 女性向け書簡例文集。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。1925年 初拓 張猛龍碑 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 石門頌 羅振玉。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。小堀遠州自筆書状幅 永井尚政宛。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。和本「毛詩鄭箋標註・詩經古註標註」全20巻合本5冊揃 天明6年(1786) 江都東山先生/訂正 中国最古の詩篇 儒教 経典 (江戸。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。竹久夢二木版画装『弘田龍太郎作曲 童謡小曲選集』(16冊セット=第1~16集)昭和2-7年 京文社刊。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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